May 16, 2013

「選択するふり」をする僕たち


自由意志というものなど存在しないのかも、と。そんなことを少し前から感じることがあります。
『1Q84』で青豆というキャラクターがこんなことを口にします。
「でもね、メニューにせよ男にせよ、ほかの何にせよ、私たちは自分で選んでいるような気になっているけど、実は何も選んでいないのかもしれない。それは最初からあらかじめ決まっていることで、ただ選んでいるふりをしているだけかもしれない。自由意志なんて、ただの思い込みかもしれない。ときどきそう思うよ」
Born
僕たち、人間は始まりから受動的存在。生まれようとして、この世に生を授かる人はいないですよね。知らぬ間に、この世に転がり込んでくる僕たち。母語の選択もできずに。なんだか知らぬうちに言葉を口にしているといった具合。そして、気づけば「選択しているふり」をするようになると。

村上春樹つながりでいけば、去年のエルサレムでの受賞スピーチで、彼はこんなことを言っていました。

“Think of it this way. Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: It is The System. The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others - coldly, efficiently, systematically.” (http://www.salon.com/2009/02/20/haruki_murakami/)
 しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。
http://ameblo.jp/nattidread/entry-11346558241.html
29/52 choice paralysis
人生は選択の連続です。今夜の夕食の献立、どのテレビ番組を見るのか、どの学校を受験するのか、どの職業に就くのか、電車に乗るのか、歩くのか。それは、選択に埋もれている僕たちなのかもしれません。そこに在るのは、村上春樹の言うところの「システム」であって、社会であって、周囲の人間であって、と自らの選択に影響を与えてくるモノたち。あるいは、見方次第では、そういった介入に、僕らは救われているともいえるかもしれません。

それが良いことなのか悪いことなのかはわかりませんが、少なくとも完全に自由なる意志は、おそらく存在などしていなくて、代わりに存在しているのが、「選択しているふり」をする僕たちなのではないでしょうか。

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